紀州街道 – 大阪府堺市

2015年6月8日

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大阪府堺市にある紀州街道に行きました。紀州街道は堺を縦断するメインストリートです。写真付きで掲載します。

紀州街道とは

堺市街を南北に貫く大道筋 – これが紀州街道です。
大坂から和歌山まで続いています。

現在は中央を路面電車(阪堺線)が、それを挟むようにして自動車が往来しており、
細々としている街道といった感じはありません。


現在はかなりの大通りとなっている

現在は拡張されて広くなっていますが、東側の歩道がかつての街道となります。
刃物屋や旧家、寺院が並んでいます。


東側の様子 – 歩道にしては広い

紀州街道を北上すると、阪堺線の綾ノ町駅で終端のように見えますが、
さらに北へ続いており、住吉大社を経て大阪へ入ります。

元々は大坂の城下と住吉大社を結ぶ道路として作られたのです。


綾ノ町駅付近 – 左写真の左から北へ続く

堺は室町時代に明との貿易で非常に栄え、十六世紀にはポルトガルとも貿易を行い、
国際色豊かな都市となりました。

1543年に鉄砲が伝来した後はその製造が盛んになり、
今でも南海本線七道駅の北には「鉄砲町」という地名があります。


七道駅のすぐ北

綾ノ町付近

現在の堺の中心部は南海堺東駅付近に移っていますが、昔の中心部はこのあたりでした。
鉄砲鍛冶屋や刃物屋、金物屋が多く、今でも見かけることができます。


打刃物の製造卸の店がある

このあたりは第二次世界大戦の戦災を免れたため、
江戸後期を偲ばせる古い町並みが残っています。

住宅の中を歩いていると、旧鉄砲鍛冶屋敷を見つけました。
江戸時代初期から末期に渡る鉄砲鍛冶の生活の実態をうかがう上で貴重な建物です。


誰か住まわれているのでしょうか

なお、路面には名所旧跡等をつないだ「てくてくろーど」という指標があり、
かなり役立ちました。

目印がないと、地元の人でない限りなかなか分かりません。


綾ノ町から堺東、さらに南まで続いている

高須神社/山口家住宅/寺町…
さらには ザビエル公園/与謝野晶子生家/千利休屋敷跡 と続きます。

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